初めまして。鳩森と申します。41歳(2025年11月時点)の女性です。
私は30代でうつ状態・不安障害と診断され、長らくメンタルクリニックに通っていましたが、2025年の4月に「双極性障害」と診断されました。躁うつ病ですね。
診断当初は特に何も不便を感じていませんでした。今思えば当時は「軽躁状態」だったのかもしれません。
40歳、他に何のスキルもないのに仕事の契約を終了してしまう
2024年10月頃に体調を崩し、フリーランスでいただいていたITの仕事の契約をこちらからやめると申し出てしまいました。
体もしんどいし、もう少し負荷の少ない仕事をしよう→興味のあることをすれば負荷も少なくなるはず→今勉強しているWebデザインで稼ごう!……という、今思えば安直すぎて自分で自分が信じられないのですが、持ち前の楽観主義が悪い方向に働いたのか、あるいはこれも「軽躁状態」が生み出してしまったことなのか……私は自ら職を失ってしまったのです。
当時40歳で、この日本で新しいことにチャレンジするには難しい年齢だと、今なら分かるのですが、当時は夢ばかり見つめて実際的なところには全く目が向きませんでした。Webデザイナーになるための努力も中途半端、コネも実績もない。こんな状態でWebデザイナーになれるわけがなかった。副業的に小さな収入を得ることさえできませんでした。
アルバイトを始めるも体力がついていかず。そして双極性障害へ
収入をどうにかするため、2025年2月から5月まで、ホテルのクロークスタッフのアルバイトをしました。これが非常に体力勝負のお仕事でした。暖房の効いたホテルのクロークでスーツ型の制服を着て、重たい荷物を持って走り回る……いつも大量の汗をかき、パンプスで足を痛め、体への負荷がとてもつらかったです。ただ、人間関係は非常に良好だったのが救いでした。女性の多い職場は、個人的には働きやすいです。
ホテルバイトを始めて2ヶ月が経過した頃、なんだか、私の「うつ状態」は変だと思うようになりました。この1年で「とても元気になってきました」「もう治ったと思います」と主治医に意気揚々と報告したことが2回ほどあり、その元気状態の後、結局またうつ状態になって「やっぱり治っていませんでした……」と報告する。これってもしかして、うつ状態じゃなくて「躁うつ病」なのでは?
主治医に「もしかして躁うつ病じゃないかと思うんです」と言ってみたところ、あっさり「その可能性が高いですね」と言われました。お薬も、それまで飲んでいたSSRIを徐々に減らし、双極性障害のための気分安定薬が処方されるようになりました。
最初に書いた通り、当初はあまり不便を感じませんでした。軽躁の時の楽しさや、その後のうつ状態が病気のせいだという自覚が薄かったのだと思います。その後訪れる辛い辛い「混合状態」を味わうまでは、双極性障害はそれほど人生に影響を与えないだろうとタカを括っていました。
家賃を少しでも下げたくて引越し。辛い混合状態を味わう
私は2023年から東京都で一人暮らしを始めたのですが、更新のタイミングでマンションの家賃が少し値上がりし、元々そこそこの家賃を払っていたこともあって経済的な不安を覚えるようになってきました。少しでも家賃を下げて暮らしたいと思い、2025年の秋、友達を頼って神奈川県に引っ越すことにしました。
その頃からメンタルが大荒れに荒れておかしくなっていきます。リフォームをしてとても綺麗に整えていただいた引越し先のアパート、優しそうなオーナーさん、親切な不動産屋の担当者さん、物件探しについてきてくれた近くに住む友達、全てがありがたかったのですが、「私のような者にここまでしていただいて良いのだろうか?」という思いがわくようになったのです。家賃を下げたとはいえ、無職の私がこれから支払っていけるのだろうか?これから仕事がないままだったら、せっかく綺麗にしてくださったのに長く住めないかもしれない、どうしよう……
状況としては、副業的に軽くお手伝いをしている仕事が一つあるきりで、メインになる収入の柱はない状態。双極性障害といっても大して影響はないだろうとナメてかかっていたので障害者手帳も持っておらず、障害者雇用の選択肢もなし。フリーランスでお仕事をいただいていた会社に泣きついて2ヶ月分だけは仕事が確保できたけれど、その後は予定なし……
頭がおかしくなりそうでした。私は収入源を自ら手放し、夢は叶えられず、バイトも続かず、稼ぐ力がないのに家賃の高い関東で一人暮らしを継続してしまった。愚かとはこのことではないか?どうして仕事が長く続かないのか。今になって少し冷静になって考えてみると、ちょっとぐらいは「病気の影響」としても良かったのではないかと思うのですが、引越し当初は自分を責め続け、パニック発作のような苦しい状態が慢性的に続くという酷い有様でした。人生で初めて毎日頓服が必要になりました。不安障害はよくなったと思っていたので、再びこんな状態になって困惑しましたが、後から調べてみると、不安障害と双極性障害の「混合状態」は似た症状が出ることがあるようでした。もしかしたら、混合状態で苦しみが続いたのかなと今は思っています。混合状態に効果を発揮しやすい気分安定薬を処方してもらい、オンラインカウンセリングを受け、友達に泣きつき、主治医に泣きつき、少しずつ心の緊張がほぐれていきました。
就労支援センターに行ってみて
横浜市には「就労支援センター」というものがあります。私のメンタル不調は「仕事がないこと」が原因で起こっており、ハローワーク、各種エージェント、アルバイト探しなど、あらゆるものに登録して面談して応募して手当たり次第に仕事を探そうとすることでますます調子を悪くしていたので、見かねたカウンセラーの先生が就労支援センターを紹介してくださいました。予約の電話をすると、面談は1ヶ月後に。結構長く待つものだなと思いましたが、最近ではメンタルクリニックの初診が3ヶ月後などになることも多いようなので、それに比べると短い方かもしれません。
就労支援センターに行ってみて、また少し気持ちの変化がありました。就労支援センターでは障害者手帳を持っている人であれば支援ができるということで、手帳の申請など分からないことがあれば手伝うと言っていただきました。手帳、あっても別に……と思っていたのですが、持っていれば障害者雇用を選ぶことができます。仕事の選択肢が増えること、障害者雇用で採用されたら職場で合理的配慮をお願いできることなど、メリットがある。私はひとまず、障害者手帳を申請しようと思いました。
就労支援センターの利用をすると決めたらまた電話してくださいと言っていただき、その日は家に帰りました。障害者手帳を持とうと決められたこと、実際に就職活動をするタイミングで就労支援センターを頼ろうと思ったこと……私の頭に新しい選択肢がインストールされたことで、不安でぐちゃぐちゃだった気持ちがふっと楽になりました。
もしかしたら、安定した仕事を得て横浜で暮らし続けられるかもしれない。病気の影響もあって仕事のことはめちゃくちゃにしてしまったけど、これからのこと、希望を持ってもいいんじゃないか。そんなふうに思えるようになりました。
私の双極性障害とこれから
まずは障害者手帳を申請すること。それからカウンセラーの先生に勧められた通り、臨時の仕事の後3ヶ月ほどお休みして双極性障害の波を観察すること。このように決めています。
このブログでは、私が双極性障害と共に生き、苦労したことや思いついたこと、実行できたことなど、色々書いていきたいです。同じ病気で苦しんでいる人や支援者の方にとって、少しでも有益なサイトになればいいなと思います。
どうぞよろしくお願いします!
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